「火葬」とは、遺体を焼却して葬ることで、葬儀の方法のひとつです。

日本に火葬が伝わったのは、仏教が伝来した6世紀半ばといわれており、703年に持統天皇が天皇としてはじめて火葬され、貴族など上流階級の間に浸透していきました。

庶民に火葬が浸透したのは、明治時代になってからですが、都市部の墓地不足などの事情も手伝って、国が強力に火葬を推進したことで、現在では、99%が火葬になっています。

火葬の歴史

日本で始まった時期ははっきりしないが、日本国内各地の縄文時代の遺跡からも、火葬骨が出土する。

弥生時代以降の古墳の様式の一つに「かまど塚」「横穴式木芯粘土室」などと呼ばれる様式のものがあり、その中には火葬が行なわれた痕跡があるものが認められる。それらは6世紀後半から出現しており、最古のものは九州で590年±75年の火葬が確認されている。平成26年(2014年)2月、長崎県大村市の弥生時代後期(2世紀頃)の竹松遺跡において、長崎県教育委員会の発掘調査により火葬による埋葬と見られる人骨が発見されている。これが検証のうえ認められれば、火葬の歴史はもっと古くから存在することになる。

日本における火葬は仏教と共に伝わったという説が有力とされている。これは釈迦が火葬されたことにちなむ。奈良の元興寺の開祖、道昭が自らの意思で民に模範を示したところに始まったと伝えられる。「文武天皇4年(700年)、遺教を奉じて粟原に火葬す。天下の火葬これよりして始まる」と『広辞苑』(岩波書店)にもある。現代でも「火葬にする」の意味で用いられる言葉として「荼毘に付す」がある。この荼毘(だび。荼毗とも)は火葬を意味するインドの言葉(パーリ語: jhāpeti「燃やす」)に由来し、仏教用語である。

『続日本紀』によると、前述のとおり日本で最初に火葬された人は、文武天皇4年(700年)に火葬された僧道昭である。また最初に火葬された天皇は、大宝2年(702年)に死亡し、殯(もがり)の儀礼の後、大宝3年(703年)に火葬された持統天皇である。

早い段階から兵士の火葬も法律によって定められており、大宝元年(701年)編纂の『大宝律令』には、「行軍中の兵士が死んだ場合は焼いてその場に埋める」ように記述されており、東国の防人が死んだ際も、柩を給付して焼くようにという記事があり、天皇が火葬される以前から兵士の火葬は規定されていることである。

天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まった。

『万葉集』には

隠口の 泊瀬の山の 山際に いさよふ雲は 妹にかもあらむ
— 柿本人麻呂

と短歌で詠まれ、最愛の人を送る、最後の別れの煙が「いさよふ雲」であり、それはとりもなおさず妹と認識できると歌われており、万葉人特有のゆかしさと優しさが感じられると、日本での近代火葬炉開発の元祖である鳴海徳直は述べている。

日本では平安時代以降、皇族、貴族、僧侶、浄土宗門徒などに火葬が広まった後も、土葬が広く用いられていた。仏教徒も含めて、近世までの主流は火葬よりも死体を棺桶に収めて土中に埋める土葬であった。儒教の価値観では身体を傷つけるのは大きな罪であったほか、人口の急増で埋葬地の確保が難しくなる明治期に到るまでは、少なくとも一般庶民にとっては土葬の方が安上がりだったためとの説がある。比熱の高い(=温度が上がりにくい)水分や分子構造が巨大で複雑なタンパク質を多量に含んだ遺体という物質を焼骨に変えるまで燃やすには、生活必需品としても貴重だった薪を大量に用いる必要がある。また効率よく焼くための高度に専門的な技術が求められるため、火葬は費用がかかる葬儀様式であった。

明治時代に入ると、東京の市街地に近接する火葬場の臭気や煤煙が近隣住民の健康を害している事が問題になり、警保寮(警視庁の前身)が司法省へ火葬場移転伺いを出した。この問題に際し明治政府は神道派が主張する「火葬場移転を検討するのは浮屠(仏教僧)が推進する火葬を認めたことになる。火葬は仏教葬法であり廃止すべき」との主張を採り、東京府、京都府、大阪府に土葬用墓地は十分に確保可能か調査するよう命じ、土葬用墓地枯渇の虞は低いとの報告を受けた直後の明治6年(1873年)7月18日に火葬禁止令(太政官布告第253号)を布告した。

だが、都市部では間もなく土葬用墓地が枯渇し始めて、埋葬料が高騰したり埋葬受け入れが不可能となる墓地も出てきて混乱をきたした。仏教徒や大学者からは、火葬再開を求める建白書が相次ぎ、政府内部からも火葬禁止令に反対する意見が出て、明治8年(1875年)5月23日には禁止令を廃止している。

その後、明治政府は火葬場問題から宗教的視点を排して、公衆衛生的観点から火葬を扱うようになった。伝染病死体の火葬義務化に加えて、土葬用墓地の新設や拡張に厳しい規制を掛け、人口密集度の高い地域には、土葬禁止区域を設定するなどの政策を取った。また大正時代より、地方公共団体が火葬場設営に積極的になり、土葬より火葬の方が費用や人手が少なくて済むようになったこともあり、現代の日本では火葬が飛躍的に普及し、ほぼ100%の火葬率である。

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