眼・耳・鼻・舌・身・意の弟六番目、第六識。前五識が対象を別々に対して第六識は対象を総括的に把握する、識知し思考する心。また、意によって生ずるところの執着。

独頭意識 他の五識とともに起こることなく、独り生起して広く十八界を縁じる。
五同縁意識 他の五識と同時に起こって、ともにその境を縁じ、明了依となる。心の現量。
五倶意識 五識と同時に起こって五境を縁じ、傍らに十八界を縁じる。
五後意識 五倶意識の後念に生じて、前念の五境の境を縁じて、他一切法を縁じる。
「識」は心王を表し、意識は、五感の眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)の前五識と区別される第6番目の心(第六識)である。

よく自覚的という意味で「意識する」ということがいわれるが、それは仏教では心所(個別の心作用)の作意(注意する働き)、あるいは唯識でいう自証分の働きなどに求められる。もっとも、前五識が明瞭に働くのは、それらに意識が同時に働いているからである。また、前五識が現在の事象のみを対象とするのに対し、意識は過去・未来・現在の三世を対象とする。さらに、前五識はいわば無分別のあり方で対象を認識するのに対し、意識には、過去を再構成したり推理したりする働きがあり、分別のあり方が顕著である。言語活動なども意識に固有の機能である。よく執着ということがいわれるが、仏教ではそれは悪見(誤った見解を固執する働き)の一つであり、それも主に意識と相応する。

意識は聖教(経典)を対象として、心が清浄(しょうじょう)になる道を開くものである。

唯識派では、第六意識のほか、第七末那識、第八阿頼耶識をたてる。

西暦6世紀に中国に現れた天台は第八識のその奥にあらゆる精神の働きを突き動かしている第九識(阿摩羅識、または根本浄識)の実在に到達した。

五十音順

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